アンドルー・ラングの詩「ジャンヌ・ダルク」と画家ジョン・ダンカン

Jehanne d'Arc et sa garde ecossaise by John Duncan

ジョン・ダンカン 「ジャンヌ・ダルクと前衛のエコセーズ」 1896 エディンバラ市議会

アンドルー・ラングの「ジャンヌ・ダルク」という詩

The honour of a loyal boy,
The courage of a paladin,
With maiden's mirth, the soul of joy,
These dwelt her happy breast within.
From shame, from doubt, from fear, from sin,
As God's own angels was she free;
Old worlds shall end, and new begin
To be

Ere any come like her who fought
For France, for freedom, for the King;
Who counsel of redemption brought
Whence even the armed Archangel's wing
Might weary sore in voyaging;
Who heard her Voices cry "Be free!"
Such Maid no later human spring
Shall see!

Saints Michael, Catherine, Margaret,
Who sowed the seed that Thou must reap,
If eyes of angels may be wet,
And if the Saints have leave to weep,
In Paradise one pain they keep,
Maiden! one mortal memory,
One sorrow that can never sleep,
For Thee!

エディンバラ市議会所コレクションのジョン・ダンカンの「ジャンヌ・ダルクと前衛のエコセーズ」は、アンドルー・ランゲの詩がインスピレーションとなったらしいです。

ジョン・ダンカンはケルト復興運動を代表する画家の一人だけれど、スコットランドの首都エディンバラは6世紀のケルト人の砦を起源としてます。

イングランドへの併合は年。ジャンヌ・ダルクの時代は、ステュアート朝のスコットランド王ジェームズ1世の時代。同盟国はフランス。

イングランド王ヘンリー4世にジェームズ1世は18年間拘束されています。ヘンリー6世の時代の1424年に引き渡されスコットランド王に即位しています。

1429年には同盟国フランスの救世主「オルレアンの乙女」ことジャンヌ・ダルクと共にスコットランド兵士たちはイングランドと戦ったのです。

ところが宮廷内で孤立してしまったジャンヌはフランスのために戦ったはずですが、ブルゴーニュ派から1430年にイングランド軍に引き渡され、翌年火刑となるのです。

それから6年後、ジェームズ1世もスコットランド人の反感から暗殺されました。

Jehanne d'Arc et sa garde ecossaise by John Duncan

ジャンヌは1425年、、オルレアンを救えという聖女カトリーヌ、マルグリット、大天使ミカエルの声を聴き従ったのです。アンドルー・ラングの「ジャンヌ・ダルク」にも、”聖ミカエル、カトリーヌ、マーガレット”と、この聖人たちを告げています。

ジョン・ダンカンの「ジャンヌ・ダルクと前衛のエコセーズ」で、スコットランドの民族舞踊(エコセーズ)が、フランスとイングランドで取り入れられたのが18-19世紀のことです。

歴史とスコットランド、フランス、イングランドの三国を象徴したともいえる作品はエディンバラ市議会所蔵にふさわしいですが、見た記憶が僕にはありません。シティーアートセンターに展示されているんでしょうか。

ジョン・ダンカンの作品はXAIさんの記事から各作品記事にリンクしています。

XAI  ジョン・ダンカン 遊びの園 

人類学者のアンドルー・ラングはスコットランドの文学者でもあります。日本では童話のほか「書斎」などが翻訳されている人。民族、神話、宗教、ホメロスなどの著作でも知られている人ですが、特にケルトについてはあまりつながりはないようだけれど妖精についての著作は多数。

歴史上の人物については、特に メアリー·スチュアート がお気に入りだったようですが、1906年には「ジャンヌ・ダルク物語」を書いています。

画家ジョン・ダンカンはスコットランド生まれで、スコットランドを非常に愛した画家なんでししょうか。スコットランドにまつわる人物や物語の作品が彼の代表作といってもいいのでは。

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エゴン・シーレ ノイレングバッハの芸術家の部屋

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ゴッホの「アルルの芸術家の寝室」(ゴッホの寝室)は、エゴン・シーレの擁護者カール・ライニングハウスが当時所有していたそうです。シーレがこの絵をみていたようですが、シーレは遠近法を使用せず、人物像や風景画を見るように、高い視点から鑑賞することができるということです。それはすべてを目にとめることができるのと同時に、鑑賞者自身がこの場面にいないということにもなります。

遠近法だと、鑑賞者がその場面に足を踏み入れる感覚がおこりますが、この作品には距離がある。

シーレの1911年作「ノイレングバッハの芸術家の部屋」は、ゴッホの寝室と比べ、こうした存在感覚の劇的な変化をあらわしているそうです。

Vincent_willem_van_gogh_135 ゴッホの寝室の贋作については、maki さんの以前の記事にありますので、参考に。

1889年 Vincent VAN GOGH  
「アルルの芸術家の寝室」わびしさ、狭さをドラマティックに描いたフィンセント・ファン・ゴッホに、僕は共感できます。

このゴッホの寝室のほかに、ヴァシリー・カンディンスキーの作品も、シーレの対象にあげられています。

Bed 「アインミラー通りの寝室」 1909年
シーレは「ノイレングバッハの芸術家の部屋」の翌年に、カンディンスキーらの「青騎士」への新会員を求めていないかを、フランツ・マルクあてに手紙を出しています。「青騎士」の展覧会などにシーレの作品が使われてます。

ワシリー・カンディンスキーの記事
ワシリー・カンディンスキー(ヴァシリー・カンディンスキー)
カンディンスキー と ミュンター

フランツ・マルクの記事
フランツ・マルク バーミリオン
フランツ・マルク(何の印象もないブログ

シーレはトイズコレクションが趣味のようで、ヒーツィンガー大通り101番地のアトリエの写真には、トイズコレクションのなかに、1912年度「青騎士」年鑑が、いっしょに飾られていたそうです。

追伸

TBが届かないみなさま、本当に何度も送信していますが、エラーになってしまいます。本当です。すいません。そのかわり、arei さん、楓さんをはじめ、仲間のみなさんの画像修正に力を注ぎますから、夏休み中は。arei さんも楓さんも、こっちのブログにはいってないよ~と言わないでくださいよ。本当にトラバしたんですよ!ブログもおそろいのURLにした仲じゃないですか。sai さん、助けてください。

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クリムト、シーレ ウィーン世紀末展 パラス・アテナ(&MUSICⅡ)

日本オーストリア交流年2009  (Osterreich-Japan Jahr 2009 - 日墺修交140年)のイベントとして、2009年、札幌、東京、大阪、北九州で、「クリムト、シーレ ウィーン世紀末展」が行われるそうです。これは「ブラジルのフランス年」とおなじではないようですね。「日本のオーストリア年」ではないですから。

いま札幌で「クリムト、シーレ ウィーン世紀末展」が開催中。つぎに9月16日~10月12日東京、日本橋高島屋アートギャラリーで予定されています。そのHPでパラス・アテナのゴルゴンの胸板をみて、似ているなぁと思ったのが「MUSICⅡ(音楽Ⅱ)」です。クリムトはサッフォーも作品にしているからでして、竪琴をもっているところからそうではないかと。

MUSIC Ⅱ (1898) Gustav Klimt (C)Flickr

ところが、これは寓意画「音楽Ⅰ」からひもとくと、実はこの音楽Ⅰのバリエーションで、竪琴は「ピアニストJ・ペンバウアーの肖像」(TBありがとうございました。)と同じ「キターラ」らしい。

Music2_2

古代風のモチーフは、Ⅰ同様にスフィンクスとその頭上は分離派好みのタンポポ(裸の真実にもあります)が、風に吹かれ種子を飛ばすところから「芸術思想の伝播」といわれています。

丸い球状(たぶん金色)は、葡萄の房を示し、ディオニュソス祭り(ブルグ劇場にも「デュオニュソスの神殿」を描いています)を主題とする壷絵からとられているそうです。焼失したこの「音楽 Ⅱ」はほとんど構図やモチーフは「音楽 Ⅰ」と似ていますが、人物が違います。この作品ではファムファタル的な女性かもしれませんよ。

Klimt_pallas_athene
パラス・アテナ (1898) Gustav Klimt

Photo_2 クリムトの「音楽Ⅱ」

大きな画像はこちら
KLIMT COLLECTION

パラス・アテナのゴルゴンの胸板とファムファタル的な女性の膝元に顔をだしている仮面が似ていると思ったのは大間違い。

「音楽 Ⅱ」の仮面のようなモチーフは、演劇的世界と暗示している「サテュロスの仮面」だそうです。

キターラはアポロンが弾くモチーフで、音楽の神様をあらわしているということで、音楽と演劇の世界をこの絵は象徴しているのでしょうか。

パラス・アテナはいい意味で峻厳な女性で描かれていますが、ちょっと強面の騎士という感じが否めません。アテナ(ミネルヴァ)は、兜、胸板をつけ、槍と盾を手にしている。(ボッティチェリのアテナはこちら。→「ボッティチェリ 至福の花々 (サンドロ・ボッティチェッリ)」ミネルヴァ(パラスアテナ)とケンタウロスはずーっと下のほうに大きく画像がアップされています。)

23mini 1898年に開催された「第1回分離派展ポスター」はクリムトの作品。ここに「パラス・アテナ」が右横に登場しています。

第2回分離派展に、さきの「パレス・アテナ」を出品したわけです。

さて、ご存知の方はご存知。このポスターは修整されたものです。「陰部」がさりげなく加えられた樹木で見えてませんね!

大変ですね。検閲も。

ゴルゴンは醜い女の魔物。ゴルゴン(ゴルゴーン)の首は古典時代にはしばしば魔よけ(ゴルゴネイオン、Gorgoneion)に用いられたそうですが、たしかゴルゴンを醜い女にしたのは、このアテナのはず。またパラスはアテナの別名とされていますが、由来はアテナの親友。うしろの黒い背景の左側、ギリシャ風に平面に描かれた人物がパラスなのかも。

Miniこちらが検閲まえの作品。パラス・アテナがみつめる先には、ミノタウロスと戦う英雄テセウス。

オルブリッヒ設計の分離派会館(セセッション館)は、月桂樹のドームを「黄金のキャベツ」と揶揄されますが、パラス・アテナを庇護神に、ヘヴェジの 「 時代にはその芸術を、芸術には自由を 」 をスローガンに、第1回分離派展を開催。

この盾もゴルゴン。ゴルゴンはウィーン大学天井画ベートーヴェン・フリーズの女性像に発展。

クリムトのパラス・アテナは輝く鏡をもった勝利の女神ニケを手にしています。これが翌年制作の「裸の真実」につながるそうです。

カフェ・ムゼウム(Caf Museum)ではクリムトやシーレら世紀末のアーティストたちのシンジゲート。「クリムト、シーレ ウィーン世紀末展」では、この時代のココシュカなどの作品も来日しているということです。

XAI 
クリムトの記事はたくさんありますが、まずはこちらから。手作りのクリムト美術館で、いろんな作品記事にリンクしています。

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The Group of Seven-Lionel LeMoine Fitzgerald

Coloured_pencil_Abstract l. l. Fitzgeraldは草原のペインターとよばれているようです。

"Painter of the Prairies,"
特別に、田園や草原を主題にしていたようではないのですが。

彼が、「The Group of Seven」加わる最後の芸術家。画風というより友情を分かち合ったセブンとの交流で、彼は彼の作風を大切にしていたと思います。

L・M・フィッツジェラルドのどの作品も、白を感じます。雪、氷、真っ白な息でしょうか。

白といえば、僕の先輩が「カドルコア世代」で本名を分析したところ、優雅さ、花崗岩、白インク、真空が成分とありました。まさに、フィッツジェラルドも、優雅さ、花崗岩、白インク、真空のイメージです。

僕がこの作品に惹かれたのは、「Abstract」というタイトル。抽象的な概念は、結び目を焦点とする広角度の数学拠点の形成やベクトルを用いて表現する方法を連想させるからです。

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